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固形墨

墨について

手で磨るのは大変根気の要る作業ですが、手で磨った墨は墨色・伸び・香り・表具性・筆の洗い安さ、どれをとっても墨液に勝っているといっても過言ではないでしょう。

当社も開発しましたが、墨磨り機などを使ってでも、墨液より固形墨を使って練習・作品作りをすることをお勧めします。

日本の墨(和墨)のサイズ表

墨の大きさは、1丁型、2丁型と表記します。
これは重さを基準にしており、1丁型は15g、2丁型は30gとなり、
10丁型は150gになります。
また、墨の数を数える単位は、丁で表します。
                                                                                    
*丁型巾×長×厚さ(mm)重さ(g)サイズ
1丁型20×74×715
2丁型23×84×1130
3丁型27×110×1245
5丁型33×132×1475
8丁型36×160×15120
10丁型40×179×17150

中国の墨(唐墨)のサイズ表

中国の墨を量る度量単位 「 1斤 」 は500g、1両は「16分の1斤」で「31.25グラム」。
1斤(500g)が墨の基準重量で、これを分割した分割数で墨の大きさを表現します。
                                                                                            
*丁もの(*/*)1斤(500g)を何丁の墨にするか1丁当たりの重さ(g)和墨に表すと
1丁もの(1/1)1丁の墨にする(500g/1)50033丁型
2丁もの(1/2)2丁の墨にする(500g/2)25016丁型
4丁もの(1/4)4丁の墨にする(50g0/4)1258.5丁型
8丁もの(1/8)8丁の墨にする(500g/8)62.54丁型
16丁もの(1/16)16丁の墨にする(500g/16)31.252丁型

墨の歴史

墨の日本への伝来と日本の墨の歴史
日本への墨の伝来は、一説に文字の伝来と同時期であるといわれています。
「漢倭奴王国」の金印の示すように、漢の国ではその折に文字や墨書を知ったと思われ、『魏志倭人伝』に239年に卑弥呼が、魏の洛陽に送った使者に親書を持たせ、『晋書』・ 『宋書』には倭の五王(讃・珍・済・興・武)も親書を持たせたとあるように、この頃に十分に筆・墨の存在も考えることができます。
しかしながらこれらはあくまでも一説に過ぎず、詳しいことはわかっていません。
『日本書紀』に 「推古天皇18年(610年) の春3月 高麗の王は僧 曇微(飛鳥時代の高句麗の僧侶) と法定を貢上し、曇微は五経を知り、且つ能く彩色及び紙墨を作る」 とあり、この文献が日本の墨について記した最古のものと思われ、 聖徳太子が 『 法華経義疎 』を書いた時には、この曇微の持参した松煙墨が使用され、 飛鳥の都跡から発見された 円硯 の断片から、当時はすでに硯で墨を磨っていたこともわかっています。

各時代の墨の需要
聖徳太子没後の律令政治の実施に伴い、701年大宝律令が制定された政治機構の中で中務省が製墨をつかさどり、墨は貴重品として扱われ、仏教の繁栄に伴った写経用の墨として需要が高まっていきました。
平安時代になると、墨は大量に生産されるようになり(松煙墨)、一般にも浸透していったといわれています。
以後高まる墨の需要に伴い、それまでは松煙墨しか存在しなかった時代に先駆けて油煙墨の開発を行ったのは日本でした。
平安時代に普及した、松煙墨の大量生産と同時期に油煙墨の研究・開発を進め、墨の変遷過渡期を迎えていったと思われます。
平安時代末期には、日宋貿易も盛んになり、水墨画の伝来や禅僧の墨蹟の隆盛により、日本でも数多くの能書家が誕生し更に墨の需要は高まっていきました。

墨の原料

墨の原料は、煤(炭素末)・膠・香料で、それを混合し乾燥させたものが固形墨です。
良質の墨は空気に触れても絶対に変化しない良質の煤と、透明度が高く粘着力の強い膠との混合によってつくられます。
良質の墨とは、ただ黒いだけではなく、黒の中に七色の味わいを持ち硯で磨った際には清い香がし、音のしないものを良質とします。
墨とは、書かれた時代だけでなく遠い将来までもその味わい深い黒色を保ち、文字の美しさを人々の心にいつまでも伝え、観賞できるものなのです。

墨の種類

墨の種類から墨を構成している膠、香料についてご紹介します。

油煙墨
不純混合物がほとんど無く、墨色の変化も少ない油煙墨
墨いわゆる松煙墨は中国で開発された事はご存知の通りですが、油煙墨は日本が先駆けて開発したといわれています。
油煙の炭素末となる原料には、菜種油、胡麻油、桐油、椿油があり、中でも菜種油が最も普及しているといわれています。
油煙の炭素末粒子は、松煙の炭素末粒子に比べ、非常に小さく均一になり、品質の良し悪しは、濃墨の場合、つやと深みのある漆黒で奥行きのある黒色を良質としています。
また、淡墨の場合では、相対的に薄茶に紫味や青味を含んだ黒色を放ち、き細やかなにじみの立体感を得られるものを良質としています。
油煙墨には、不純混合物がほとんど無く、墨色の変化もありません。

また、硯あたりが滑らかで磨り口には光沢があり、良質の油煙墨になる程、この光沢は強くなります。
逆に、品質の劣る物としては、濃墨の場合でも深みのある黒色を放たない、赤茶けたものや白茶けたものを劣品とし、淡墨の場合では、きめの粗い立体感のないものを劣品としています。
しかし、品質の判断には数々の豊富な経験と優れた眼識が必要で、また墨の色は紙の質にも大きく左右されます。
同じ紙を用いて比較しなければ正確な判別はつきにくいと言えるでしょう。

改良煤煙墨
松煙墨や油煙墨と比較すれば、「早く黒くなる」
一般的には、改良煤煙墨は、洋墨煙と呼ばれ、鉱物油・カーボンブラックなどを原料としています。
比較的、実用墨や普及品に多く使用され、松煙墨や油煙墨と比較すれば、 「早く黒くなる」のが特徴で、難点は墨本来の「墨は七色に光る」が味わえないところだといえるでしょう。
最近では、残念なことに墨液が主流になってきていますが、洋煙墨が松煙墨や油煙墨に劣るというものの、筆や硯の道具を長持ちさせる為には、墨液を使用されるよりも洋煙墨を使用されることをお薦めします。

墨の膠
墨の特徴に大きくかかわる膠

膠とは墨の製造工程において、炭素末を接着させる役割を果たします。
膠は、「煮皮」に字源をもつように、牛皮・馬皮・鹿皮のニベ(外皮と肉質との中間にある結合組織)や骨などを煮詰めた後、箱に流し込んで冷却して薄くし、さらに乾燥させたものです。
良質の膠は、粘着力が強く透明で、ゼリー強度の強いものでなければなりません。
しかし一方では、ゼリー強度が強すぎれば、墨が硬くなり過ぎて墨おりが悪くなってしまいます。

逆に、粘着力が弱くゼリー強度も弱い、色の濁った膠は、悪質であるといえます。
墨においての膠の役割は、膠と炭素末とを攪拌させることにより、墨の形に作ることを助けます。
また、墨を硯で磨る際には、光沢を持った墨色を出すという重要な役割も担っています。
膠とは、「獣類の骨・皮・腸などを水で煮た を、かわかし固めたもの」です。
煤の炭素粒子は水に溶けずに分離してしまう為、煤と水の仲介役としてゼラチン状の膠が必要になります。
膠が煙煤を包み込むことによって、水に溶けることを可能にし液体の墨となり得ます。
つまり、筆が紙に接地する際に発生する摩擦感は、この膠の感触であるといってよいと思われます。
「濃い墨はネバネバしている」といわれますが、実際には墨の濃度と粘度は似てはいても別のものなのです。
濃度とは、墨液の全体量に対する炭素粒子の量の割合を指し示す言葉であり、粘度とは、墨液の全体量に対する膠の量の割合を指し示すものです。
一度にたくさんの墨を磨ることによって炭素粒子の量も膠の量も同時に増えることになりますので、同じものとして考えられてもおかしくはありませんが、墨の選択、磨墨の方法、膠の追加などによって別々に操ることが可能です。 膠は、動物から取り出されたものですので、膠は強い異臭を放つことになる為、香料を混ぜて臭いを消す必要があるのです。
膠がどれほどの異臭を放つかは、墨わ磨って数日放置した「宿墨(しゅくぼく)」の臭いでお解かりいただける通り、磨っている当初は墨の香り(香料の香り)がするものの、「宿墨」になった途端に香料の力も全く及ばない強烈な異臭を放つことになるわけです。

墨の香料
磨ることで気分が落ちつく墨
香料とは、膠の悪臭を消し、墨の磨り手の精神統一をはかる役割を果たします。
香料は大別して、天然香料と人造香料とに分けられます。
天然香料の中でも植物性香料と動物性香料とに分かれています
。 植物性香料では 「梅花香」、動物性香料では 「麝香(じゃこう)」が使用され、共に名の知れた香料です。
人造香料では 「ムクス・アンヅレット」・「キシロール」などがあり、混合香料の原料となっています。
膠の悪臭を防ぐために香料が使用されるわけですが、香料にはそれとは別に、墨の磨り手の精神統一をはかり、落ち着いた雰囲気を醸し出すという重要な役割も担っています。

朱墨
昔は大変高価だった朱墨

古くは朱を丹と呼び、万葉集に「青丹よし奈良の都は咲く花の…」と詠われたように、天平時代の平城京の建物や寺社はその柱に朱が塗られ、防腐の役割りを果たすだけでなく、朱色の色彩の見事さからも大変な貴重品として扱われてきました。
室町末期に九州博多へと伝来した朱は、大変な貴重品であるとして、民間人の朱採掘や売買を禁止。作ることもご法度としていました。
徳川幕府の1609年に朱の製造、売買が認められ、朱の製造が行なわれるようになったとされています。
一般的に使用を許され、朱墨の訂正や印判が認められたのは明治時代のことです。
高級な朱墨は、水銀を加工して朱色を出しており、年月の経過にも色が劣化しません。
それに対し、安価な朱墨には、水銀の代わりに顔料を使用する為、年月の経過により色が劣化します。
良質の朱墨をお求めの際には、水銀が入っているか否か確かめるべく、密度が高いものを選定するのが重要です。
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